2014年7月15日火曜日

福島県の現状

おはようございます。
今朝はよく晴れております。

昨日は全国若手市議会議員の会災害対策部会の研修で福島県伊達市へお邪魔しました。
・福島から考える日本の未来 開沼博氏(フクシマ論著者)
・福島原発事故後の現状と課題 菅野清一氏(川俣町会議員)
お二人からお話を聞きました。

まずは開沼さんより、3,11までの原発立地地域の状況という事で、明治から現在に至る中央へのエネルギー供給を行っていた経緯などを聞き、福島原発についても出来た背景をお話くださいました。

原子力というブランド、原発により豊かな財政、地元のコミュニティの中心としての原発。
そこには、何もなかったところへ自分たちのアイデンティティが欲しいという背景もありました。
基地やダムの立地も同じような構造です。

そしてここ現在に至っても内向的、閉鎖的、保守的な体制は変わっておらず中央と地方、二つの原子力ムラが置きたい、置かれたいと考えているようでした。
また、福島を考えるといって、原発やエネルギー、3,11以降の哲学みたいな論があるが、これは福島か?と投げかけられました。
象徴としてのフクシマと現実の福島を認識する。
福島を考える前に福島を知って欲しい。現地の人や歴史、現在のニーズを知る必要があるという話でした。

「復興」にもそれが当てはまり、ちょっと見に来た人に限って「復興が遅れている」なんてブログで書きますが、どこが遅れていて、実はどこが早すぎるのかなど現実が見えていないとおっしゃいました。
課題が複雑化しているにも関わらず単純化され、忘却され、現地のニーズとずれると。

社会は「敵・悲劇」を定めて大騒ぎし、そして忘れる。社会的な忘却ループ。今後も同じコトを繰り返しはしないか?関心を持っているフリではないか。
単純、特殊ではなく福島の抱える問題の普遍性を明確にし、課題先進地としての福島の価値を我がコトに繋げたいと思います。

最後にそもそも被災地を理解しているのか。
例えば福島県から避難した人の割合、何パーセントですか?

約2.3%
被災地に思い入れがある人ほど実は無理解だったりするそうです。

結局何が遅れているのか。
それは「理解の復興」と「生活の復興」

昨日の気にワード

「結局俺たちは何もわかってなかったな」

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